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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)8605号 判決 1974年4月02日

原告

小林哲大

外二名

右訴訟代理人

福岡清

外六名

原告

杉浦あかね

ほか八名

右訴訟代理人

安達十郎

外二名

被告

日本赤十字社

右代表者

東竜太郎

右訴訟代理人

横大路俊一

主文

一1  被告は

(一)  原告小林哲大に対し金一六四万〇、五〇〇円を、

(二)  同杉浦あかねに対し金一五七万一、五〇〇円を、

(三)  同香川元に対し金一九六万二、五〇〇円を、

(四)  同岩田絵里に対し金二二〇万八、〇〇〇円を、

(五)  同岩田健吾に対し金三七万二、二一三円を、

(六)  同岩田令子に対し金五四万四、七一三円を、

それぞれ支払え。

2  原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里、同岩田健吾、同岩田令子のその余の請求を棄却する。

二  原告小林将啓、同小林和子、同杉浦公昭、同杉浦京子、同香川孝雄、同香川香津代の請求はいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里と被告の間に生じたものは被告の負担とし、原告岩田健吾及び同岩田令子と被告の間に生じたものはこれを二分し、その一を原告岩田健吾、同岩田令子の負担とし、その余は被告の負担とし、原告小林将啓、同小林和子、同杉浦公昭、同杉浦京子、同香川孝雄及び同香川香津代と被告の間に生じたものは、原告小林将啓、同小林和子、同杉浦公昭、同杉浦京子、同香川孝雄、同香川香津代の負担とする。

四  この判決は第一項1にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1(一)  被告は、原告小林哲大に対し金二二五万四、〇〇〇円、同小林将哲、同小林和子に対し各金四八万三、〇〇〇円をそれぞれ支払え。

(二)  被告は、原告杉浦あかねに対し金一六九万五〇〇円、同杉浦公昭、同杉浦京子に対し各金三六万二、二五〇円をそれぞれ支払え。

(三)  被告は原告香川元に対し二〇一万二、五〇〇円、同香川孝雄、同香川香津代に対し各金四三万一、二五〇円をそれぞれ支払え。

(四)    被告は、原告岩田絵里に対し四〇九万二、三二七円、同岩田健吾に対し金一二〇万八七一円、同岩田令子に対し金一五〇万八七一円をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1(一)  被告は、日本赤十字法に基づき設立された特殊法人であり、その東京都支部の管轄下に属する東京都新宿区西大久保一丁目三九一番地所在新宿赤十字産院(以下新宿産院という)を経営している。

(二)  原告小林将哲と同小林和子、同杉浦公昭と同杉浦京子、同香川孝雄と同香川香津代、同岩田健吾と同岩田令子は、それぞれ法律上の夫婦であり(以下それぞれ小林夫婦、杉浦夫婦、香川夫婦、岩田夫婦という)、原告小林哲大は小林夫婦間の、同杉浦あかねは杉浦夫婦間の、同香川元は香川夫婦間の、同岩田絵里は岩田夫婦間の子である。

2  医療契約の成立

(一) 岩田夫婦は昭和四〇年六月一八日、小林夫婦は同年七月六日、それぞれ被告との間で、被告が、右各夫婦の子(岩田絵里および小林哲大)の出生を停止条件として各子のために、科学的で適正な診療が可能な構造および設備を有しかつそのように管理された新宿産院において科学的かつ適正な看護ならびに栄養を与え右各夫婦の子を健康体で退院させる旨の請負もしくは準委任契約を締結した。

そして、原告岩田令子は同年六月一八日、同小林和子は同年七月六日新宿産院においてそれぞれ原告岩田絵里、同小林哲大を出産し、岩田夫婦および小林夫婦は、各子の出産と同時に被告に対し、それぞれ各子を代理して右契約に基づく利益を享受する旨の黙示の意思表示をした。

なお、仮に、意思表示がなくとも右契約の性質上、原告岩田絵里、同小林哲大はそれぞれ出生と同時に、当然に第三者のためにする契約に基づく利益を享受する権利を取得するものである。

(二) 原告香川香津代は昭和四〇年七月二五日訴外武谷病院において同香川元を、同杉浦京子は同年七月三一日訴外東京母子病院において同杉浦あかねを、それぞれ出産した。

しかし、原告香川元及び同杉浦あかねは共に未熟児であつたため、香川夫婦は同年七月二五日、杉浦夫婦は同年八月一日、各子の代理人兼本人として、原告香川元については父の孝雄が母の香津代を代理し、同杉浦あかねについては父の公昭が母の京子をも代理して、被告との間で、被告が各子に対し科学的で適正な診療が可能な構造及び設備を有しかつそのように管理された新宿産院において科学的でかつ適正な看護並びに栄養を与え各子を健康体で退院させる旨の請負もしくは準委任契約(各子自身と被告との間、もしくは両親と被告との間の契約)を締結し、右各契約締結と同時に右各夫婦は、原告香川元若くは同杉浦あかねの各共同親権者として、被告に対し右原告元、同あかねを代理して、前記第三者のためにする契約に基づく利益を享受する旨の黙示の意思表示をした。なお、意思表示がなくても右原告元、同あかねは右契約の性質上当然に第三者のためにする契約に基づく利益を享受する権利を取得するものである。

そして、原告香川元及び同杉浦あかねは、それぞれ右各契約日に未熟児として新宿産院に入院した。

(三) 原告らと被告との間に私法上の契約関係の存在することについて

健康保険制度を利用して被保険者らが保険給付(診療)を受ける場合の法律関係は、通常においては、被保険者が自己の希望する特定の医療機関を自由に選定してなす具体的な診療の申込とこれに対する医療機関の受任・承諾という私法上の請負若くは準委任とみられる診療契約の先行・媒介なしには存在せず、右の契約関係を前提とするものである。このことは、保険診療には一定の制限があるが右は専ら保険財政上の理由に基づくものであり、医療機関は診療上必要と認めた場合には患者に対し医療費の有無を確かめその明示の意思に反しない限り保険診療の制限以上の医療をも施さなければならないことからしても明かである。

右契約の効果として医療機関は一定の医療行為をなす義務を負担し、患者は医療機関に対し報酬・費用等の支払義務を負うが、右患者が被保険者である場合には保険利益として診療報酬等の支払・請求について専ら当該保険法律関係の規制により特別の取扱・利益を受けるにすぎない。

以上のように健康保険制度により診療を受ける場合にも医療機関と患者側との間には私法上の診療契約が存在している。

3  被告の債務不履行

原告小林哲大は昭和四〇年八月一九日、同杉浦あかねは同年九月二二日、同香川元は同年八月二五日、同岩田絵里は同年八月一八日、それぞれ新宿産院から退院した。

(二) 被告は、原告らが新宿産院に入院している間に、原告小林哲大をして略治三四ケ月、同杉浦あかねをして略治二四ケ月、同香川元及び同岩田絵里をして略治各三一ケ月を、各要する初感染乳児肺結核に罹患せしめた。

(三) 被告が右原告らを初感染乳児結核にかからしめたことは、前記医療契約の債務不履行に該当する。

4  被告の不法行為

(一) 一般医療機関と異り細菌感染に対する抵抗力の極めて弱い新生児・未熟児を多く収容し看護・保育にあたる新宿産院のような施設・病院においては、設備及び構造に関する衛生管理に充分留意し、新生児室・未熟児室を無菌状態に保つような設備・構造を用いる義務のみならず、特に乳児と直接に接触する医師・看護婦等はもとよりのことその他の従業員についてもこれらの者が伝染性疾病の感染源とならないよう、これらの者の健康管理に万全を期し、これらの者に対する定期的で適正な検診を実施し、伝染性疾病、とりわけ結核を早期に発見し、伝染性疾病を発見した場合には要医療者・要休養者を速かに職場から隔離し、入院・休職等の措置を講じ、その他科学的な病状判断によつて当該従業員の職場配置や人員補充を行うなど適確な医療・健康管理を行い、よつて新生児・未熟児等をして伝染性疾病、とりわけ危険な初感染乳児結核に罹患せしめない高度の注意義務、そして同時に感染の機会のあつた入院者に対しては早期に徹底した検診を行い罹患者の早期発見につとめる義務、罹患者に対しては病状の悪化を防止するための治療を行う義務を負担している。

(二)(1) しかるに、被告は、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里の入院していた時期に、新宿産院の従業員として神保金悦(医事課長)、山下泰正(小児科医師)、葭村マリ(検査技師)、伊藤ハツ子、唐木光世、町田純江、牛山チエ、岡本(旧姓村山)義子、茂木栄子、室伏千加子、安部チヨ、小林君子(以上看護婦)、大久保兼吉(大工)、小林陽治(小児科医師)、吉田照男(産科部長)等の肺結核症に罹患し、然るべき医療、生活指導を要する者を使用していたが、これらの者に対する適正な健康管理を怠り、症状に応じた生活面・医療面での措置を構ぜず、ことさらに軽度の指導区分に分類し、健康人と同様の勤務に従事させ、これらの患者、とりわけ右神保、伊藤及び唐木が自由に未熟児室・新生児室及びその付近に立入ることを許していた。右のうち神保は多量の結核菌排菌者であり、即時強制入院させるべき者であり、このことは、昭和四〇年七月に判明していたにもかかわらず判明後二ケ月にわたり放置していた(同年九月一日入院)。また、看護婦伊藤ハツ子、唐木光世、町出純江は未熟児室勤務であつた。

(2) また、未熟児室・新生児室ナースステーションから未熟児室・新生児室への再循還式空気調節装置が設置されており、この装置を通じて右ナースステーション内の空気が未熟児室・新生児室へ流入されていた(但し未熟児室・新生児室内の空気は再循還させず外部に放出されていた)が、右看護婦らのほか右神保等の事務職員らが自由に右ナースステーション及びその付近に立入ることを許していた。

(3) 被告は、右(1)、(2)の過失により原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里をして初感染乳児結核に罹患せしめた。

(4) そして、新宿産院における院内感染による乳児結核の集団発生の疑か濃厚となつた昭和四〇年一二月以降も推定感染時における入院者に対する検診等の措置を全くとらず放置した。

5  被告の前記債務不履行もしくは不法行為により感染した結核の略治まで、原告小林哲大は三四ケ月、同杉浦あかねは二四ケ月、同香川元、同岩田絵里は各三一ケ月を要し、原告らはそれぞれ左記の損害を蒙つた。

(一) 原告小林哲大及び原告小林夫婦

(1) 原告哲大は、新宿産院退院後、昭和四〇年九月三〇日荻生医院(東京都新宿区戸塚町二丁目一六八番地所在)において育児相談を受けたところ、ツベルクリン反応であり、昭和四一年一月六日同院でツベルクリン検査の結果で結核に感染していることが発見され、同月二二日東大病院分院小児科において検査した結果ツベルクリン反応であり、X線撮影では病変は認められなかつたが、結核の発病が発見され、同日からヒドラジッド毎日0.15グラムを服用するようになつた。以後、同年五月六日同院に入院して治療を受け、同月二五日東京都立清瀬小児病院に転院して同年一二月二三日仮退院するまで右病院に入院していた。右病院入院中の昭和四一年五月二六日から同年一二月二三日まで週二回ストレプトマイシン注射(0.25グラム)、毎日ネオイスコチン0.2グラムおよびパス二グラム投与の治療を受けた。

同年三月ころ以降右肺門リンパ腺の腫張増大が始まり、同年一一月八日から石灰沈着が始つた。

右病院仮退院後は、前記荻生医院に通院し、月一回右清瀬小児病院に通院していた。その後、原告小林将啓の転勤のため昭和四二年三月二九日からは結核予防会岡山診療所に通院するようになり投薬を受ける(後に右診療所の処方により近所の病院から薬をもらうようになつた)ほか、三ケ月に二回の割合でレントゲン撮影、赤沈検査を受け、同年五月末までは週二回ストレプトマイシン注射を受け、昭和四三年一二月略治した。

(2) 精神的損害

原告哲大は、前記のように長期の入院加療並びに退院後一年の自宅療養を必要とされ、更にその後三年に及ぶ経過観察が必要という状態にされた。そして治療のための週二回のスレトプトマイシンの注射の際には注射の痛みに泣き叫び、しばしば、注射を打つた尻部の痛みを訴え、更には、赤沈検査のため首筋の血管から採血することもあり、非常な苦痛を訴え、また、清瀬小児病院入院中は、寒風に晒されたり、ベッドから落ち怪我をしていることもあつた。

また、現在においても、完治不可能な状態であり、子供らしい遊びもできず、体重も軽くやせており、顔面は蒼白で血色が悪く、肺結核の治癒期における患部の収縮のため気管支喘息になり激しい咳が起り、時には嘔吐を伴うこともあり、風邪をひきやすく、ひくに高熱を出し、かつ肺炎になりやすい体質になつてしまつた。

乳児結核は、略治後も長期間の観察が必要であるのみならず、将来再発する危険性も高く、一生その虞をも心配しながら生活していかねばならない状況にされた。

また、検査・治療のため多量のX線の照射を受け、化学薬品の注射・服用をなしたが、右の副作用により、現在しばしば鼻血を出し、赤血球が漸減傾向にあるが、右のみならず、X線の過剰照射による副作用は長い潜伏期間があるため、いかなる副作用が顕われるか断定できす、とりわけ、幼児期における性器管に対する多量のX線照射は将来不妊等生殖機能障害をおこすとされており、その虞も多分に予想され、あるいは、現在まだ幼少のため聴力検査ができない状態にあるため判明していないが、多量のストレプトマイシンの注射による難聴の危険にさらされている。

その他乳児に対する化学療法の副作用については現在判明しておらず、予想していない副作用のあらわれてくる虞がある。例えば、バスの服用による胃腸障碍により食欲不振・食物の嘔吐等も問題になつてくる。

さらには乳児期は、性格的基礎形成期であり、この時期に母親に保育されず、母親から離され入院生活を送つたため、この時期における精神のすこやかな発達が損われ、人格形成上重大な影響を受けた。このため性格的欠陥が生じている虞もある。

(ⅱ) 《i不明―編注》原告哲大が前記小児病院へ入院中、原告和子は新宿区戸塚一丁目の自宅から毎日右病院に通院してその看護にあたり、原告和子が通院できないときは、同原告の母又は妹が勤務を休んで通院看護し、日曜日には、原告将啓が通院して看護にあたつた。そして右通院には往復一時間三〇分を要した。

このため原告将啓は、職務上費すべき貴重な時間を、通院・看護のため費さざるを得なかつた。また、原告将啓は、前記原告哲大の入院、治療並びに同原告及び原告小林夫婦の前記各病院への通院等のための治療費・通院費等として一〇万円以上の出費を余儀なくされ、右出費は原告将啓の収入に比しかなり重い負担であつた(但し、右金員は本訴において独立の財産的損害としては請求しない)。

原告小林夫婦は、前記(ⅰ)記載の原告哲大の母親から隔離された入院生活による性格形成上の悪影響をなくすため前記のとおり通院し、病院から帰る時原告哲大が胸にしがみついて離れようとしないのを無理に離してベッドに一人置いて帰らざるを得ないなど親として極度の苦しみを味あわされ、あるいは仮退院後においても前記のとおり原告哲大が風邪をひきやすいため、現在においてもなお交互に夜起き風邪をひかぬように世話に努め、一夜熟睡できない状態におかれており、原告将啓においては仕事の能率も上がらない状態である。

以上のように原告小林夫婦は、原告哲大が結核に罹患させられ、同原告の健全な成長が阻害され、その治療・看護のため奔走を余儀なくされたため精神的に重大な苦痛を受けた。

(なお、第三者のためにする契約において、要約者が、第三者に対し債務の履行されることにつき特別の利益を有する場合には、要約者もまた独立の損害賠償請求権を有するというべきところ、本件において、父母は、子供の生命・健康の安全につき特別の利益を有しこれが侵害された場合、重大な精神的苦痛を蒙るのであるから、独立の損害賠償請求権を有する。)

(ⅲ) 以上のとおり、原告哲大及び原告小林夫婦は耐え難い精神的な打撃を受けており、今後もかかる。精神的苦痛を受け続けることが予想される。以上の諸般の事情を勘案すると、原告らの蒙つた精神的苦痛を慰謝するに足る金額は、原告哲大については一九六万円を、同将啓、同和子については各四二万円を、それぞれ下ることはない(なお、右慰謝料は、右三名合計で、入院前及び入院中の期間を約二二ケ月とし、その期間一ケ月当り一〇万円とし、退院後の療養期間を一二ケ月とし、その期間一ケ月当り五万円とし、うち七割が原告哲大の、一割五分づつが原告将啓、同和子の損害であるとして算出したものである。)。

(3) 弁護士費用

(ⅰ) 原告らは、委任した弁護士との間で、原告らが勝訴した場合に、右慰謝料総額の一割五分にあたる四二万円を報酬として支払う旨約した。

(ⅱ) 医療事故による損害賠償請求の訴を提起する場合、その訴訟の内容からして弁護士が訴訟代理人となつて訴訟を遂行するのが通常かつ相当であり、本件においても右弁護士費用も本件事故と相当因果関係のある損害であり、被告において賠償する義務がある。

(ⅲ) 右損害についても、前記慰謝料の割合に従い、原告哲大について二九万四、〇〇〇円、原告将啓、同和子について各六万三、〇〇〇円を請求する。

(4) よつて、被告に対し、原告哲大は二二五万四、〇〇〇円、原告将啓、同和子は各四八万三、〇〇〇円の各支払を求める。

(二) 原告杉浦あかね及び原告杉浦夫婦

(1) 原告あかねは、新宿産院を昭和四〇年九月二二日退院した直後から感冒にかかつたような症状を呈し、しばしば近所の病院に通院し、同年一二月一〇日ころ、高熱を出し、ぜい鳴音を発し、気管支炎をもおこし、同月一七日こうから約一週間東京母子病院に入院した。同病院においては肺炎と診断されたが、当時既に同病院の医師の中には肺結核ではないかと疑う者もいた。その後同月二五日板橋西保健所の医師及び看護婦の来訪を受け、早速ツベルクリン検査を行うよう指示され、昭和四一年一月六日右病院でツベルクリン検査を受けたところ七ミリ×七ミリの擬陽性であり、更に同年三月一五日板橋西保健所でツベルクリン検査とレントゲン検査を受けたところ、結核症の発病が発見された。そして、同月一八日都立清瀬小児病院において再度レントゲン検査を受けた結果、右肺門リンバ腺結核と診断され、即日、ヒドラジッドとバスの服用を開始した。そして同年五月四日右清瀬小児病院に入院し、昭和四二年三月末日同病院を退院するまで、前記の薬治療法と月一回の定期検査を受けていた。退院後も同年九月未日まで、前記の投薬による加療を受けるため通院した。

なお、その後三ケ年は再発の危険が高いため定期的に診断を受け観察しなければならず、感染後二年以上を経過した時点においてもなお完治したとは言えない状況であり、現在なお定期的な診断を受け再発の防止に努めている。

(2) 精神的損害

(ⅰ) 原告あかねは、前記のとおり現代においても完治不可能な肺結核に罹患し、前記のように長期の入院加療、退院後の自宅療養及びその後の経過観察が必要という状態にされ、体力・知力の基礎が作られるべき乳児期において健全な成長が阻害され、現在においても食欲不振等に苦しめられている。

また、初感染乳児結核は再発の危険性が高く、略治後も一生、再発の危険性をかかえて生きていかねばならない状況におかれている。

そして、結核治療のために化学療法を受けたが、いまだその乳児に対する副作用は明かになつておらず、現在、食欲不振と食物の嘔吐の症状が顕著であるが、これはパスの長期服用の副作用の胃腸障碍によるものとみられ、あるいは、ストレプトマイシンによる聴神経障碍がいわれており、まだ幼少であるため聴力検査もできず判明していないが、難聴の危険にも晒され、その他予想しない副作用があらわれる虞もある。

さらには、乳児期は性格的基礎形成期であり、この時期に母親から離され入院生活を送つたことにより健全な精神の発達が損われ、この時期及びその後の人格形成上重大な影響を受けた。

(ⅱ) 原告杉浦夫婦は、原告あかねの健全な成長が阻まれたのみならず、専門医による治療のため長期にわたる別離生活を余儀なくされ、更に日夜、原告あかねの病の早期回復のため腐心する等の重大な精神的苦痛を受けた。

(なお、父母が独立の損害賠償請求権を有することは原告小林夫婦と同様である。)

(ⅲ) 以上のように、原告あかね及び原告杉浦夫婦は耐え難い精神的苦痛を受けたものであり、これを慰謝するに足る金額は、原告あかねについては一四七万円、原告杉浦公昭、同杉浦京子については各三一万五、〇〇〇円が相当である(なお、右慰謝料は、右三名合計で、新宿産院退院後清瀬小児病院退院までの一八ケ月につき、一ケ月当り一〇万円とし、その後の自宅療養期間六ケ月につき、一ケ月五万円とし、うち七割が原告あかねの、一割五分づつが原告公昭、同京子の各損害であるとして算出したものである。)。

(3) 弁護士費用

(ⅰ) 原告らは、本訴を委任した弁護士との間で、原告らが勝訴した場合に、右慰謝料総額の一割五分に該る三一万五、〇〇〇円を報酬として支払う旨約した。

(ⅱ) 医療事故による損害賠償請求の訴を提起する場合、その訴訟の内容からして弁護士が訴訟代理人となつて訴訟を遂行することが通常かつ相当であり、本件においても右弁護士費用も本件事故と相当因果関係のある損害であり、被告において賠償する義務がある。

(ⅲ) 右損害についても、前記慰謝料の割合に従い、原告あかねは二二万五〇〇円、原告公昭、同京子は各四万七、二五〇円をそれぞれ請求する。

(4) よつて、被告に対し、原告あかねは一六九万五〇〇円、同公昭、同京子はそれぞれ三六万二、二五〇円の各支払を求める。

(三) 原告香川元及び原告香川夫婦

(1) 原告元は、新宿産院を昭和四〇年八月二五日退院した後、同年九月頃から咳、ぜい鳴が出て苦しみ、ミルクを残すようになり、北多摩郡清瀬町元町二丁目二番二〇号所在の武谷病院において診察を受けたところ風邪と診断され、風邪薬の服用により同年一〇月初頃一旦よくなつた。そして同年一〇月二〇日ころ、満三カ月児に対する定期健康診断として結核研究所でツベルクリン検査を受けたところ、で中程度陽性であることがわかり結核感染が疑われた。同月二七日に二度目のツベルクリン検査を受けたところ、と前回より少し小さくなつていたためレントゲン検査は受けなかつた。しかしその後、同年一二月ころ再び咳とぜい鳴に苦しみ、武谷病院で診察の結果喘息性気管支炎と診察され、その治療を受け、一旦回復したが、その後もしばしばぜい鳴と咳に苦しみ、その都度通院を余儀なくされ、同年一二月二二日には高熱が出て、深夜右病院に駆けつけざるを得なかつた。

そこで、昭和四一年二月一六日結核研究所で検査を受けたところ、ツベルクリン検査の結果がと出、レントゲン検査においても右肺入口に白色化した部分が発見され、結核の疑ももたれたが、肺炎のあとかリンパ腺の腫れのこともありうるとして、予防としてヒドラジッドの服用を始めた。

その後、同年四月八日頃、発熱があり、近所の病院の診察を受けたところ、軽いはしかであると診断されたが、その後もぜい鳴はますますひどくなり、同月二九日には四〇度の発熱があり、翌三〇日喘息性気管支炎と急性咽頭扁桃腺炎と診断されたが、その後も全く良くならず、食欲が著しく減退するため、同年五月一三日結核研究所でレントゲン断層写真の撮影を受け、その結果、結核と判明し、翌一四日都立清瀬小児病院に入院した。その入院中の同年五月二五日頃には、病状が極めて悪化し、呼吸困難に陥り、顔が柴色となり、酸素テントに収容されることもあつた。そして翌四二年三月二〇日退院するまで、ストレプトマイシン、パス、ネオイスコチンによる治療を受けた。

退院後においても、昭和四三年三月未までは投薬を受け、さらに現在に至るまで、定期健康診断を受け観察を続けており、再発の防止に極力努めているが、なお完治したとは言えない状況である。

(2) 精神的損害

(ⅰ) 原告香川元は、前記原告杉浦あかねと同様の精神的苦痛を蒙つた。

(ⅱ) 原告香川夫婦は、前記原告杉浦夫婦と同様の苦痛に加え、前記昭和四一年五月二五日ころ原告元の病状が悪化し、呼吸困難になつた際には、清瀬小児病院からの「ヤマイワルシ」という電報を受け取り急拠病院へ駆けつけ、徹夜で看病にあたることなどもあつた。

(なお、父母が独立の損害賠償請求権を有することは原告小林夫婦と同様である。)

(ⅲ) 以上のように原告元及び原告香川夫婦は耐え難い精神的苦痛を受けたものであり、これを慰謝するに足る金額は、原告元については一七五万円、原告孝雄、同香津代については各三七万五、〇〇〇円が相当である(なお右慰謝料は、右三名合計で、新宿産院退院後清瀬小児病院退院までを一九ケ月とし、これにつき一ケ月当り一〇万円とし、その後の自宅療養期間を一二ケ月とし、これにつき一ケ月当り五万円とし、うち七割が原告元の、一割五分づつが原告孝雄、同香津代の各損害であるとして算出したものである。)。

(3) 弁護士費用

(ⅰ) 原告らは、本訴を委任した弁護士との間で、原告らが勝訴した場合に、右慰謝料総額の一割五分に該る三七万五、〇〇〇円を報酬として支払う旨約した。

(ⅱ) 前同様の理由により、被告は右弁護士費用を賠償する義務がある。

(ⅲ) 右金員についても、前記慰謝料の割合に従い、原告元は二六万二、五〇〇円、原告孝雄、同香津代は各五万六、二五〇円をそれぞれ請求する。

(4) よつて、被告に対し、原告元は二〇一万二、五〇〇円の、原告孝雄、同香津代はそれぞれ四三万一、二五〇円の各支払を求める。

(四) 原告岩田絵里及び原告岩田夫婦

(1) 原告岩田絵里は、新宿産院を昭和四〇年八月一八日退院後、まもなく、同年九月一一日ころから下痢や発熱のため杉並区高円寺北四丁目一六番一一号所在の高円寺同愛病院に通院したが、当初、担当医師は単なる消化不良及び感冒と診断して治療した。

また、昭和四一年一月二二日頃から同年三月三一日まで右側耳漏のため、中野区大和町三丁目三番三号杉尾医院において、局部治療他抗生剤投与等の治療を受けた。

ところが、下痢・発熱等の症状は好転しないばかりか更に悪化したため、昭和四一年四月一日前記同愛病院においてレントゲン撮影を行つたところ、レントゲンの写真の結果から、総合病院において専門の医師の診察を受けるよう指示され、翌二日、杉並区阿佐谷北一丁目七番三号所在の河北病院で診察を受け、右レントゲン写真を見せたところ、急性肺炎と診断され、即日入院した。入院した二、三日後、高熱・咳に見まわれ、投薬、注射の治療を受けたが一向によくならなかつた。

同年四月一五日日赤集団乳児結核事件の報道がなされ、主治医から新宿産院で出生したか否か確認され、ツベルクリン検査を受け、結核感染が判明し、即日、結核の治療としてのストレプトマイシン注射、パス、ネオイスコチンの服用を開始した。そして、同月二一日には右耳漏より結核菌が検出され、中耳性結核という脳性結核にいたる重症の結核であることが判明し、以上の各症状は肺結核及び中耳性結核のためであることが判明した。

そして、昭和四二年三月三一日までの一年間右河北病院に入院し、その間、結核治療のため、前記の治療を続け、さらに、退院後も引続き同年一〇月三一日まで週二回河北病院に通院し、同様の治療を受け、さらに、その後一年以上週一回通院し、パス、ネオイスコチンの内服療法を続けた。なお、今後も、15.6才まで、レントゲン撮影を中心とした経過観察が必要とされている。

(2) 財産上の損害

(ⅰ) 原告岩田夫婦は、原告絵里の右の(1)各病院における治療のため左記のとおり支出した。

同愛病院治療費 四、五一〇円

杉尾医院治療費 七四三円

河北病院入院及びその間の治療費六一万三、〇七五円

河北退院後、昭和四二年一〇月三〇日までの右病院の治療費 一、四〇〇円 以上合計 六一万九、七二八円

(原告健吾、同令子各三〇万九、八六四円)

(ⅱ) 原告令子は、同絵里が河北病院へ入院中、三〇〇日にわたり、同絵里に附添いその看護に当つたところ、その附添費は一日当り一、〇〇〇円が相当であり、総額三〇万円になり、原告令子は右同額の損害を蒙つた。

(ⅲ) 原告絵里は河北病院退院後も、同病院に通院していたが、原告夫婦はその交通費として次のとおり支出した。

昭和四二年一〇月未まで(週二回、一往復二二〇円) 一万二、三二〇円

同年一一月から昭和四四年五月まで(週一回) 一万五、八四〇円

以上合計 二万八、一六〇円

(原告健吾、同令子 各一万四、〇八〇円)

(3) 精神的損害

(ⅰ) 原告岩田絵里は前記原告杉浦あかねと同様の精神的苦痛のほか、発熱、下痢、耳漏に苦しめられ、連日強力な注射及び投薬に苦しめられる等の精神的苦痛を蒙つた。

(ⅱ) 原告岩田夫婦は、前記原告杉浦夫婦と同様の精神的苦痛を蒙つた。

(なお、父母が独立の損害賠償請求権を有することは原告小林夫婦と同様である。)

(ⅲ) 以上のように原告絵里及び同岩田夫婦は耐え難い精神的苦痛を受けたものであり、これを慰謝するに足る金額は、原告絵里については三四七万二、〇〇〇円、原告健吾、同令子については各七四万四、〇〇〇円が相当である〔なお、右慰謝料は、右三名合計で、原告絵里が新宿産院を退院した昭和四〇年八月一八日から河北病院へ入院中を含め、同病院退院後も入院中と同様の治療を受けていた昭和四二年一〇月三一日までを二六ケ月とし、この期間一ケ月に対し一〇万円、自宅療養期間(同年一一月一日から一年半)一八ケ月について一ケ月当り五万円、経過観察期間(その後満一六才になるまで)一二年二ケ月(一四六ケ月)について一ケ月当り一万円とし、うち七割が原告絵里の、一割五分づつが原告健吾、同令子の各損害であるとして算出したものである〕。

(4) 弁護士費用

(ⅰ) 原告らは、本訴を委任した弁護士との間で、原告らが勝訴した場合、前記損害の合計五九〇万七、八八八円の一割五分に該る八八万六、一八二円の報酬を支払う旨約した。

(ⅱ) 前記同様の理由により、被告は右弁護士費用を賠償する義務がある。

(ⅲ) 右金員についても前記慰謝料の割合に従い原告絵里は六二万三二七円を、原告健吾、同令子は各一三万二、九二七円をそれぞれ請求する。

(5) よつて、被告に対し、原告絵里は四〇九万二、三二七円の、原告健吾は一二〇万八七一円の、原告令子は一五〇万八七一円の各支払を求ある。

二  請求の原因に対する被告の答弁

1  請求原因1(一)及び(二)の事実は認める。

2  同2(一)の事実のうち原告岩田令子が昭和四〇年六一月八日、同小林和子が同年七月六日、新宿産院においてそれぞれ原告岩田絵里及び同小林哲大を出産したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同2(二)の事実のうち、原告香川香津代が昭和四〇年七月二五日訴外武谷病院で同香川元を出産し、同原告が未熟児であつたこと、そのために同原告は同日新宿産院に未熟児として入院したこと、原告杉浦京子が同年七月三一日原告杉浦あかねを出産したこと、同原告が未熟児であつたこと、そのために同原告が新宿産院に入院したことは認める。右原告杉浦あかねが新宿産院に入院したのは同年七月三一日である。その余の事実は否認する。

同2(三)の主張は争う。

被告と原告らの間には、原告ら主張のような契約関係は成立していないし、かつ成立する余地もない。すなわち、

(1) 請負契約は、相手方が仕事の結果に対して報酬を与えることを約することに因つてその効力が生ずるものであるところ、原告らと被告との間には何ら報酬の支払約束はなされていない。

また、一般に医療行為が準委任であるとしても、医療行為には費用を要すること明瞭であり、治療機関と被診療者との間の契約は双務有償契約であるところ、原告ら主張の診療契約において、原告らは被告との間で費用の負担につき何らの合意もしていない。

(2) 当時、原告杉浦公昭は立教学院健康保険組合の、原告岩田健吾及び同香川孝雄は国民健康保険組合の、原告小林将啓は裁判所共済組合の各組合員であり、同杉浦あかね、同岩田絵里、同香川元、同小林哲大はそれぞれ右各原告の被扶養者であり、被告経営の新宿産院は、健康保険法、国民健康保険法、国家公務員共済組合法に定める保険医療機関若しくは診療取扱機関として、原告あかね、同絵里、同元、同哲大の各診療にあたつた。

社会保険制度のもとでは、医療機関が保険医療機関の指定を受け、保険者と保険医療機関との間に、第三者たる被保険者のためにする治療行為並びに報酬その他に関し特別の契約がなされていて、保険者が被保険者に対して給付すべき医療を保険医療機関がかわつて担当して行い、それに対する報酬は社会保険診療報酬支払基金から医療機関に支払われるものであり、被保険者は自己若しくは被扶養者の診療を保険医療機関に対し請求しうるけれども、保険医療機関は私法上の契約に基づき診療行為を義務づけられるのではなく、保険医療機関の診療義務自体は公法上の義務であり、被保険者の診療受給権は法によつて付与された公法上の権利と解すべきであり、保険医療機関たる被告と原告らとの間には私法上の権利関係は成立していない。

なお、仮に、私法上の契約が存在するとしても、契約当事者は母だけであり、新生児及び父は契約当事者とはならない。

3  同3(一)の事実は原告岩田絵里の退院年月日を除きその余はすべて認める。同原告か退院したのは昭和四〇年八月一六日である。

同3(二)の事実は否認し、同(三)は争う。

4  同4(一)は認める。

同4(二)(1)のうち、原告ら主張の者を被告が、新宿産院の従業員として使用して業務に従事させていたこと、うち、神保金悦、葭村マリ、伊藤ハツ子、唐木光世、町田純江、牛山チエ、岡本義子、小林陽治、大久保兼吉、小林君子の一〇名の者が肺結核症であつたこと、右伊藤、唐木、町田が未熟児室勤務であつたこと、右神保が入院を必要とする病状であつたことは認めるがその余の事実は否認する。

右一〇名のうち右神保は入院を必要としたので直ちに入院させた(九月一日)。その他の九名は要医療とされているがいずれも菌培養陰性であり結核の感染源とはならないものであり、いずれも職場から隔離して入院措置を施す程度の症状には至つておらず、財団法人結核予防会渋谷診療所の専門医師の指導管理のもとに医療を受けながら就労させていたものである。未熟児室勤務の看護婦のうち一名は昭和四〇年五月から九月まで冒潰瘍のため欠勤していたものであり、右神保、大久保は勤務の関係上、未熟児室、新生児室とは無関係であつた。

同4(二)(2)のうち、原告ら主張のとおり再循還式空気調節装置が設置されていることは認めるがその余は否認する。

同4(二)(3)の事実は否認する。

同4(二)(4)は争う。

5(一)  同5(一)のうち、(1)、(2)(ⅰ)及び(ⅱ)並びに(3)(ⅰ)は不知、(2)(ⅲ)、(3)(ⅱ)及び(ⅲ)並びには争う。

(二)  同5(二)のうち、(1)、(2)(ⅰ)及び(ⅱ)並びに(3)(ⅰ)は不知、(2)(ⅲ)、(3)(ⅱ)及び(ⅲ)並びに(4)は争う。

(三)  同5(三)のうち、(1)、(2)(ⅰ)及び(ⅱ)並びに(3)(ⅰ)は不知、(2)(ⅲ)、(3)(ⅱ)及び(ⅲ)並びに(4)は争う。

(四)  同5のうち、(1)、(2)(ⅰ)、(ⅱ)及び(ⅲ)、(3)(ⅰ)及び(ⅱ)並びに(4)(ⅰ)は不知、(4)(ⅱ)、は否認し、(3)(ⅲ)、(4)(ⅲ)及び(5)は争う。

(五)  原告小林夫婦の同5(一)(2)(ⅱ)及び(ⅲ)の、同杉浦夫婦の同5(二)(2)(ⅱ)及び(ⅲ)の、同香川夫婦の同5(三)(2)(ⅱ)及び(ⅲ)の、同岩田夫婦の同5(四)(3)(ⅱ)及び(ⅲ)の主張に対する主張

各原告夫婦がその主張のとおりの精神的苦痛を蒙つたとしても本件の場合親である各原告夫婦には固有の慰謝料請求権がないから、各原告夫婦の慰謝料請求は失当である。

三  被告の抗弁

仮に、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元の請求の一部が認容されるとしても、被告は、昭和四一年八月一六日、右原告哲大、右原告あかね、右原告元にそれぞれ五万円の見舞金を支払つた。したがつて右見舞金は、前記原告らの認容額から控除されるべきである。

四  被告の抗弁に対する原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元の答弁

被告主張の金額を右原告らが見舞金として受領したことは認める。

第三  証拠<略>

理由

一請求原因1(一)及び(二)の事実は当事者間に争いがない。

二1同2(一)の事実のうち、原告岩田令子が昭和四〇年六月一八日、同小林和子が同年七月六日それぞれ原告岩田絵里、同小林哲大を出産したこと、(二)の事実のうち、原告香川香津代が同年七月二五日訴外武谷病院において原告香川元を、同杉浦京子が同年七月三一日訴外東京母子病院において原告杉浦あかねを出産したこと、原告香川元及び同杉浦あかねは共に未熟児であつたため同香川元は同年七月二五日、同杉浦あかねは同年七月三一日あるいは八月一日、それぞれ未熟児として新宿産院に入院したことは当事者間に争いがない。

なお、<証拠>によれば、原告杉浦あかねが新宿産院に入院したのは同年七月三一日であつたと認められ、<証拠>は信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

2(一)  <証拠>によれば、岩田令子の出産予定日は昭和四〇年六月一五日であつたが、同月一〇日ころ、新宿産院に入院したことが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

右事実、右1の原告岩田令子が同月一八日に原告絵里を出産した事実及び原告小林和子が同年七月六日原告哲大を出産した事実並びに弁論の全趣旨によれば、原告岩田健吾代理人兼本人原告岩田令子は同月一〇日ころ、原告岩田令子の新宿産院への入院に際し、原告小林将啓代理人兼本人原告小林和子は同年七月六日ころ、その新宿産院への入院に際し、それぞれ被告との間で、右原告各夫婦の子が出生した場合には、被告が出生した各子のために、現代医学の知識・技術を駆使し、科学的かつ適切な医療及び看護を与えることを目的とする各契約をそれぞれ締結したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)(1)  <証拠>によれば、武谷病院には未熟児保育のための設備がなかつたため、原告香川孝雄が右武谷病院からの紹介で同年七月二五日、新宿産院への入院手続をなしたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右事実、右1の同年七月二五日出生した原告香川元が未熟児であつたため同日新宿産院に入院した事実及び弁論の全趣旨を総合すると、原告香川孝雄が右同日、原告香川香津代代理人兼本人として被告との間で被告が原告元に対し、現代医学の知識・技術を駆使して科学的かつ適切な医療及び看護を与える準委任行為を目的とする契約を締結したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(2)  <証拠>を総合すると、原告杉浦あかねは、予定より二カ月早く出生した未熟児であつたところ、東京母子病院には未熟児保育のための設備がなかつたため、原告杉浦公昭が右病院から新宿産院を紹介され、同年七月三一日、新宿産院への入院手続をなし、新宿産院から迎えに来た看護婦が付添い、原告あかねを新宿産院に入院させたことが認められ右認定を覆すに足る証拠はない。

<証拠>を総合すると、原告杉浦公昭が同年七月三一日本人兼原告京子代理人として、被告との間で被告が原告あかねに対し、現代医学の知識・技術を駆使して科学的かつ適切な医療及び看護を与えることを目的とする準委任契約を締結したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(三)  本件入院に際して、原告小林夫婦は裁判所共済組合の、同杉浦夫婦は立教学院健康保険組合の、同岩田夫婦及び同香川夫婦は国民健康保険の各健康保険を利用して各子らに診療を受けさせたことは当事者間に争いがないところ、被告は健康保険制度を利用して診療を受ける場合には、私法上の契約関係は存在しないと主張するが、健康保険制度を利用して診療機関の診療を受ける場合においても、医療機関と被診療者との間で私法上の準委任契約が締結されるものと解するのが相当であり、国民健康保険法等に基づく公法上の権利義務関係の存否とはかかわりがないと解すべきであり、私法上の契約が存在しないとする被告の主張は採用できない。

三請求原因3(一)の事実のうち、原告岩田絵里の退院日を除いた事実については当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、同原告は同年八月一六日に退院したことが認められ、<証拠>(は)信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

四原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里の新宿産院入院中における結核感染の有無について

1右原告らの感染時期

(一)(1)  原告小林哲大について

<証拠>を総合すると、原告小林哲大は、昭和四〇年九月三〇日荻生病院において受けたツベルクリン検査においての擬陽性であつたこと、昭和四一年一月六日荻生病院において受けたツベルクリン検査においての陽性であり、同月二二日東大病院分院小児科において受けたツベルクリン検査においても陽性であり、同日、同院において受けたX線写真撮影の結果、結核発病が発見され、同年五月二日同院で受けたツベルクリン検査では、、であり、同月二六日撮影したX線写真において右下肺野内側に35×25ミリメートルの境界不鮮明なる浸潤が認められること、同年一一月八日撮影のX線写真から石灰沈着が認められることが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(2)  原告杉浦あかねについて

<証拠>によれば、原告杉浦あかねは、昭和四〇年一二月一三日頃よりぜい鳴があり喘息性気管支炎と診断され、同月一七日肺炎と診断され母子病院に入院したこと、昭和四一年一月六日のツベルクリン検査で7×7の擬陽性であつたこと、同年三月一五日板橋保健所でツベルクリン検査を受けたところ、13×13の陽性であり、X線写真撮影の結果異常が発見され、肺門リンパ腺結核症発病が判明したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(3)  原告香川元について

<証拠>を総合すると、原告香川元は、昭和四〇年一〇月二〇日清瀬町三ケ月児定期検診として清瀬町農業センターにおいて結核研究所附属療養所によるツベルクリン検査を受けた結果の中等度陽性であり、同月二七日再度ツベルクリン検査を受けた結果の中等度陽性であつたこと、昭和四一年二月一八日ツベルクリン検査を受けたところ、であり、結核研究所でX線写真撮影の結果異常が認められ、結核発病が判明したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(4)  原告岩田絵里について

<証拠>を総合すると、原告岩田絵里は、昭和四一年三月二八日発熱し、同三一日には咳と発熱がみられ、同日同愛病院においてX線写真撮影を受けたところ、左肺上野にび漫性浸潤像陰影が認められ肺炎と診断され同年四月二日河北病院に入院したこと、同年四月一六日同病院におけるツベルクリン検査においての陽性であり、結核感染・肺結核発病が判明したこと、昭和四一年一月二二日ころ、右側耳漏に悩まされ、杉尾医院において中耳炎と診断され、昭和四一年三月三一日まで同医院において治療を受け、同年四月二一日前記河北病院において右側耳漏から結核菌が検出され、結核性中耳炎と判明したこと、同年八月二六日撮影のレントゲン写真に石灰沈着の進行があることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  <証拠>によると、乳児結核は発熱、咳等の症状を呈し、特に乾酪性肺炎、粟粒結核の形をとる場合には、肺炎の症状と酷似していること、新生児の場合、免疫のでき方が遅いため結核菌に感染した後、ツベルクリン検査で陽性になるまで大体四〜七週間要し、特に未熟児の場合免疫のでき方が遅いこと、感染後三ケ月から六ケ月の間に発病することが多く、早い場合で約一ケ月後、遅くとも発病するものは一年以内には発病することが大多数であること、結核は直り始めると石灰沈着が起るが、石灰沈着の始まるまで約六ケ月かかるのが通例であることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(三)  右(一)、(二)の事実を総合すると、原告小林哲大、同杉浦あかね及び同岩田絵里はそれぞれ昭和四〇年一二月以前に、同香川元は同年九月以前にそれぞれ結核菌に感染していたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2新宿産院に入院していた乳児の結核罹患状況

<証拠>を総合すると、昭和四〇年一〇月から昭和四一年六月までの間に、昭和四〇年六月ないし九月に新宿産院に入院していた乳児のなかから、別表一のとおり原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里を含めて二九名の結核患者が発見されたこと、右二九名のうち一八名はX線写真検査の結果異常があり入院し、三名はX線写真検査の結果異常があつたが在宅で治療し、他の八名はX線写真に異常がなく在宅で治療したこと、右二九名の入院期間は別表一のとおりであること、右二九名の他に昭和四〇年七月に新宿産院で出生し、同年一〇月に肺炎と診断され入院したが同年一一月に死亡し、その胃液から結核菌の検出された者が一名いたことが認められ、右各認定を覆すに足る証拠はない。

3乳児のツベルクリン反応自然陽転率について

(1)  <証拠>を総合すると、昭和四〇年一月から一二月までの間に生まれ新宿産院を利用した乳児のうち、新宿、中野、豊島、練馬、杉並、板橋、渋谷、大田の八区在住者全員二、九〇八名を対象として、右のうち同産院に入院した二、四九六名中調査のできた一、三八五名及び外来として同産院を利用した四一二名のうち調査のできた一六七名につき、三、四カ月検診時のツベルクリン反応検査の記録のある者はそれをもとにし、記録のない者のうち多少の者については改めてツベルクリン反応検査をなし、個々の保護者に会つて確かめ、自然陽転率を調査した結果は、別表二のとおりであつたこと、右のうち六月出生者で六月中に退院した八〇名の中にはツベルクリン反応の陽性であつた者はいなかつたこと、入院した右の者のうち六月出生者で七月以降も在院した四五名及び七月出生者一五二名のツベルクリン反応自然陽転率は13.2%(二六名)であつたこと、六月出生者で七月以降在院した者及び七月出生者のうち未熟児はすべて未熟児室に収容されており、そのうちツベルクリン反応検査を行いえた四〇名中一六名(四〇%)が陽性であり、未熟児のうち未熟児室に収容された五名のうち四名が陽性であり、新生児室に収容された一五二名中六名(3.9%)が陽性であつたこと(別表三)が認められ右認定を覆すに足る証拠はない。

(2)  <証拠>によると、昭和四〇年に行つた三〜四カ月児のツベルクリン反応検査における自然陽転率は、神田保健所管内で0.5%(三九八名中二名)、足立保健所管内で0.1%(五、〇一二名中五名)、中野北保健所管内で0.5%(二、四一〇名中一一名、九〜一〇カ月児を含み、一一名のうち二名は新宿産院に入院していた結核患者である)であつたこと、東京都立母子病院において、昭和四〇年六月、七月の出生児二一九名につき生後三〜五ケ月で行つたツベルクリン反応検査の結果によれば、判定者一四六人中陽性者は一人もいなかつたこと、昭和四三年全国結核実態調査において、零才児約一、〇七〇名を抽出し調査した結果によれば全国の結核感染率は0.9%であり、そのうち東京都及び横浜市の零才児の結核感染率は零%であつたこと、昭和二八年当時零才児の結核感染率は4.4%であり、昭和四六年当時における感染率は一%以下となつていることが認められ、<証拠判断略>、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

4結核菌の型について

<証拠>を総合すると、本件患者二九名のうち菌の分離の可能であつた五名の乳児から分離された菌を六種類のバクテリアフアージで菌のタイプの検査をしたところいずれも同一の反応を示し、本件とは全然関係のない五名の結核患者から分離された菌につき右と同様の検査をしたところ、その反応は全くばらばらであつたこと、右五名の乳児から検出された菌及び神保金悦から検出された菌はいずれも抗結核剤に対する耐性のない菌であつたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

5近親者からの感染の可能性について

(一)  <証拠>によれば、乳児はその生活範囲が非常に狭く、家族等周囲の者以外の者からの結核菌感染は通常考えられないことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  <証拠>を総合すると、前記二九名の患者のうち東京都内在住二四名の患者の家族には結核患者として登録されている者はおらず、また二二名の家族について家族検診を行つた結果では受診者中に結核患者は認められなかつたこと、右二二家族中には原告ら四家族も含まれることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

6新宿産院内における感染の機会の有無について

(一)  被告が、昭和四〇年当時新宿産院の従業員として神保金悦(医事課長)、山下泰正(小児科医師)、葭村マリ(検査技師)、伊藤ハツ子、唐木光世、町田純江、牛山チエ、岡本(旧姓村山)義子、茂木栄子、室伏千加子、安部チヨ、小林君子(以上看護婦)、大久保兼吉(大工)小林陽治(小児科医師)、吉田照男(産科部長)等を使用して業務に従事させていたこと、うち神保金悦、葭村マリ、伊藤ハツ子、唐木光世、町田純江、牛山チエ、岡本義子、小林陽治、大久保兼吉及び小林君子の一〇名の者が肺結核症であつたこと、うち、右伊藤、唐木、町田が未熟児室勤務であつたこと、右神保が入院を必要とした病状であり昭和四〇年九月一日入院したことは当事者間に争いがない。

<証拠>によると、山下泰正、茂木栄子、室伏千加子、安部チヨ、吉田照男の五名は結核患者ではないことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

また、<証拠>によると町田純江は昭和四〇年五月一五日から同年九月一五日まで、冒潰瘍のため入院しその手術を受け休養しており、新宿産院を欠勤していたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  <証拠>を総合すると、神保金悦は、昭和三八年撮影の間接撮影フィルムによると左肺尖鎖骨下に浸潤性変化が認められ、病型はlⅢ1と判断され、昭和三九年五月撮影の間接撮影フィルムによると前年と比較し病状の進展、悪化が明かで、左肺尖鎖骨下浸潤は増大し、空洞形成の疑いがあり、右肺鎖骨下にも撒布病巣が認められ、病型はbⅢ2、あるいはbⅡ2の疑、活動性であり、昭和四〇年七月一五日撮影の間接撮影フィルム及び同月三一日撮影の直接撮影フィルムでは病変はさらに進展、悪化し、右肺尖鎖骨下浸潤性変化、撒布巣増大、左肺尖鎖骨下に滲出性浸潤変化を伴う大空洞(長径約五センチメートル)形成をみ、巣門結合著明、左肺不野、中央陰影外側に滲出性浸潤性病変の出現が認められ、病型はbⅡ2であると認められ、同年八月撮影の直接撮影フィルムによると右肺病変はさらに中肺野に進展し、左下肺野の滲出性変化もさらに拡大悪化していると認められること(別表四)、同年八月二五日ころ、日赤中央病院の検診を受けたところ直ちに入院するよう指示され同年九月一日右病院に入院したこと、入院当初、排菌がラスキー六号ないし七号であり、濃厚感染の意味での感染源になり得ること、入院後、結核菌排菌検査を行つたところ、塗沫検査、培養検査いずれにおいても陽性であつたこと、一般に塗沫検査の場合一CC中五万ないし一〇万個以上の菌数があつてはじめて陽性になるとされており、塗沫陽性の場合極めて大量の排菌がある重症とされており、感染の危険性の極めて高いこと、現在塗沫陽性の結核患者を新発見することは極めて稀有のこととされていることが認められ、右の事実に鑑定人浜野創作の鑑定の結果総合すると、昭和四〇年七、八月当時神保金悦が結核菌を大量に排菌していたことが推認され、以上の事実を覆すに足る証拠はない。

なお、<証拠>を総合すると、右神保は一階事務室勤務であつたことが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

また、<証拠>を総合すると、右神保は昭和四〇年八月二五日ころまで平常通り新宿産院に出勤していたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(三)(1)  <証拠>によると、伊藤ハツ子は、昭和三九年五月撮影の間接撮影フィルムによると病型lⅡ1であり、昭和四〇年七月一八日撮影の間接撮影フィルムによると病型bⅢ1であり、右鎖骨下にシェーブが認められること、唐木光世は、昭和四〇年六月三日撮影の直接撮影フィルムによると異常はなく、同年一二月二七日撮影の断層撮影フィルムにおいては病型lⅢ1はであるが、浸潤性変化が認められること、岡本義子は、昭和四〇年六月一〇日撮影の直接撮影フィルム及び昭和四一年二月撮影の断層撮影写真いずれにおいてもr病型rⅢ1であること、牛山チエは、昭和三九年五月撮影間接撮影フィルムによると病型rⅢ1であり、昭和四〇年七月一八日撮影の間接撮影フィルムによると病型はbⅢ1であるが右鎖骨下シェーブが認められること、葭村マリは昭和四〇年七月撮影の間接撮影フィルム及び昭和四一年一月二九日撮影の直接撮影フィルムいずれにおいても病型bⅢ1であること、大久保兼吉は、昭和四〇年七月一八日撮影間接撮影フィルムによると病型はrⅢ1であること、小林陽治は昭和三九年五月撮影の間接撮影フィルム、及び昭和四〇年七月一八日撮影の間接撮影フィルムいずれによるも病型はbⅢ1であること、小林君子は、昭和四〇年二月、昭和四一年二月各撮影の直接撮影フィルムによるといずれも病型bⅢ1であること(別表四)、以上八名の者はいずれも、浸潤型病巣であり、昭和四〇年一二月ころなした結核菌培養検査では陰性であつたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(2)  <証拠>によると、結核菌の培養検査では一CC中一〇〇個位の菌数が検出の限界とされ培養検査で陰性であつても排菌なしとはいえないこと、Ⅲ型の新しい浸潤巣を有する者に菌検査を三回行うと半数強に結核菌を証明でき、一回の検査で陰性であつても三回行うと一回の検査で陰性の者のほぼ三分の一に菌を証明しうることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(3)  右(1)(2)によれば、右伊藤、唐木の結核菌排菌の可能性もありえたものと解さざるを得ない。

(四)  未熟児室新生児室ナースステーション(以下単にナースステーションという)から未熟児室・新生児室への再循還式空気調節装置が設置されており、この装置を通して右ナースステーション内の空気が未熟児室・新生児室に送り込まれていたことは当事者間に争いがない。

(五)(1)  <証拠>によると、未熟児室、新生児室へは、ナースステーションから更に二つのドアを経なければ入れないこと、未熟児室、新生児室へは消毒を済ませた担当医師、看護婦以外の者は入室できないことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(2)  <証拠>によると、ナースステーションへは医療関係者以外の職員、外来者も自由に出入りでき、特に、乳児の父母はナースステーション内から未熟児室、新生児室に入院中の乳児に面会していたことが認められ、<証拠判断略>、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(3)  伊藤ハツ子、唐木光世が未熟児室・新生児室勤務であつたことは当事者間に争いがないが、<証拠>を総合すると、右伊藤は未熟児室・新生児室内部、右唐木はナースステーション勤務であつたこと、右唐木は未熟児室・新生児室内部には入つていないことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(六)  証人浜野創作の証言によると、結核菌は条件によつては相当の期間、場合によつて痰の中で一カ月以上も生存しうることが認められる。

7結論

右1ないし6の事実に<証拠>を総合すると、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里は新宿産院入院中、未熟児室若くは新生児室において、結核菌に感染したものと推認せざるを得ない。

<証拠判断略>、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

もつとも<証拠>によれば、前記2(別表一)の二九名の患者のうち、原告小林哲大及び同岩田絵里並びに別表一の(3)、(4)、(10)、(13)、(20)及び(24)の者は、ツベルクリン反応検査の結果がそれぞれ別表一のとおりであつたことが認められるけれども(右認定を覆すに足る証拠はない。)、これによつても前記1(二)の新生児の場合免疫のでき方が遅いため結核菌感染後ツベルクリン反応が陽性となるまで大体四ないし七週間を要し、そのうちでも未熟児の場合には特に免疫のでき方が遅いことからして、前記認定を左右するには足りない。

五被告の過失について

1請求原因4(一)の事実は当事者間に争いがない。

2(一)(1) 同4(二)(1)の事実のうち原告ら主張の者を被告が新宿産院の従業員として使用してその業務に従事させていたこと、そのうち神保金悦、葭村マリ、伊藤ハツ子、唐木光世、町田純江、牛山チエ、岡本義子、小林陽治、大久保兼吉、小林君子が肺結核症であつたこと、右伊藤、唐木、町田が未熟児室勤務であつたこと、右神保は入院を必要とする病状であつたことは前記四6(一)のとおり当事者間に争いがない。

(2) <証拠>を総合すると、(イ)新宿産院においては昭和四〇年中までは従業員に対する定期健康診断は年一回春ころX線写真間接撮影を行い、これにより異常ありと判定された者についてのみ直接撮影を行う方法で行われていたこと、(ロ)右検査には内科出身で小児科担当の石川房吉医師があたつていたこと、(ハ)昭和三九年五月の検診においては、従業員全員X線写真間接撮影の結果異常なしと石川房吉医師により判定され、右石川房吉医師はその旨新宿産院院長鈴木武徳に報告していること、(ニ)昭和四〇年七月一五日ころ行われた間接撮影の結果により、同月三一日神保に対し直接撮影を行い、その結果右石川医師はそのころ右神保に対し胸部に異常があるとして大病院において診察を受けるよう指示し、伊藤ハツ子に対しては間接撮影の結果断層写真を撮るよう指示したこと、(ホ)石川医師は同年八月ころ右鈴木院長に対し、右神保の左肺下に活動性の病変があり、その他の者については異常がない旨報告したこと、(ヘ)右(ニ)とは別に、石川医師は、村山義子に対して昭和四〇年六月一〇日X線写真直接撮影を、唐木光世に対して同年六月三日X線写真直接撮影を、小林君子に対して同年二月X線写真直接撮影を、葭村マリに対して同年七月X線写真間接撮影をそれぞれ行い、いずれについても異常なしと判定し、その旨鈴木院長に報告していることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(3)(ⅰ) <証拠>を総合すると、昭和四〇年一二月ころから、結核予防会渋谷診療所に依頼して、既に結核と判明して日赤中央病院に入院していた神保金悦を除く新宿産院の全従業員について臨時健康診断を行つたところ、新たに九名の結核患者が発見されたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(ⅱ) <証拠>を総合すると、新宿産院において昭和三八年ないし同四〇年に撮影したX線写真フィルムを結核予防会において読影してもらつたところ別表四のとおりの症状であつたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(4)  医療機関においては、伝染性疾患の早期発見のため医療機関以外においてなされるより頻繁にかつ専門医により厳格に健康診断を行わなければならない義務があるというべきところ、前示1、2(一)(1)の当事者間に争いのない事実及び右(2)、(3)の事実に徴すると新宿産院においては右義務を怠り、右(2)(イ)、(ロ)のように年一回定期健康診断を行つていただけであり、それも専門医とはいい難い医師に委せ、X線写真も原則として間接撮影にとどめていたため、各X線写真撮影時期に結核患者を発見しえたにもかかわらず、右(2)(二)、(3)(ⅰ)の時期に至るまでこれを発見できず、その間、排菌者を含む結核患者一〇名を業務に従事させていた過失があるといわざるを得ない。

(二)また、医療機関においては健康診断の結果伝染性疾患に罹患している疑のある者が発見された場合、その者が罹患していないと確認されるまでは一応伝染性疾患罹患者として扱い職場から隔離しておかねばならないというべきである。

<証拠>によれば、被告は、右(一)(2)(ニ)の間接撮影の結果前記神保及び伊藤に結核発病の疑が生じた後、更には直接撮影の結果により右神保についてそれが確定的になつた後においてもなお、直ちに右神保、伊藤を職場から隔離する等伝染の機会をなくす措置を採ることなく、右神保には昭和四〇年八月二五日ころまでそれまでと同様の勤務をつづけさせ、伊藤に対しては少くとも同年一二月まで未熟児室に勤務させていたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

してみると、胸部X線写真撮影の結果結核発病の疑のある者は職場から隔離する等の措置を構ずる義務があつたにもかかわらずこれを怠り、右両名を右各期間新宿産院内で健康人と同様の業務に従事させていた過失があつたものといわなければならない。

(三)(1) また、再循還式空気調節器によりナースステーション内の空気を未熟児室内、新生児室内へ送つていたものであるところ、未熟児ないし新生児は細菌に対し極めて抵抗力が低いのであるからナースステーションも未熟児室・新生児室に準じて厳格な衛生管理を行い、消毒を済せた担当医師、看護婦らの医療従事者以外の者は入室させない取扱いをすべきであつたところ、これを怠り、前記四6(五)(2)のとおり医療従事者以外の職員及び外来者にナースステーションに自由に出入させていたものであり、この点につき過失があつたといわざるを得ない。

(2) さらには、医療従事者以外の者がナースステーションに出入することがない場合において、ナースステーションの受付小窓から室内に向い話をした場合において病源菌が室内に飛散され再循還式空気調節器により未熟児室内、新生児室内に送り込まれることを防ぐための方策を採つておかねばならないというべきところ、証人鈴木武徳、同岩崎竜郎の各証言によれば、右空気調節器は結核菌を通過させるものであること、その他に結核菌の濾過装置等の設備はなかつたことが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

してみると右の点につき過失があつものといわなければならない。

(四)  被告には右(一)、(二)、(三)(1)、(2)の過失があつたものといわざるを得ず、以上の事実及び前記四の事実に徴するとそのいずれか若くは複数が原因となり前記四7のとおり入院中の乳児に結核菌を感染させたものであると推認せざるを得ず、右推認を覆するに足る証拠はない。

3昭和四〇年一二月ころ、新宿産院内における乳児の集団結核感染の疑が生じた後においては、右1の当事者間に争いのないとおり、被告には、当該時期の入院者に対しツベルクリン反応検査を行う等してその患者の発見に努め、その追跡調査を尽し、発病、患者の病状の悪化を防ぐための措置を採るべき義務があつたものというべきである。

<証拠>を総合すると、原告岩田絵里は毎月一回昭和四一年二月まで新宿産院において定期健康診断を受けていたが、結核については何らの診察もされず同年四月一六日はじめて結核と判明したこと、原告香川元は昭和四〇年一〇月二〇日、同月二七日いずれにおいてもツベルクリン反応検査中等度陽性であり、昭和四一年二月一八日結核発病と診断されていたが、同年四月一〇日ころになつて初めて保健所から調査に来たこと、原告杉浦あかねは昭和四一年三月一八日東京都立清瀬小児病院において初めてX線写真を撮影したこと、原告杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里の各結核が新宿産院の集団発生と関係あると判明したのは昭和四一年四月一六日ころ、右原告らを含まない一四名の結核患者についての報道がなされた後であること、被告は、新宿産院における乳児結核集団院内感染の疑が生じた昭和四〇年一二月ころ、東京都衛生局に資料を提供したことが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はなく、本件全証拠によるも、被告が特に入院者の追跡調査等を行つていることは認められない。

してみると、被告には、乳児結核院内感染の疑が生じた後、入院者の調査、患者の病状の悪化を防ぐための措置を怠つた過失があるといわざるを得ない。

4以上の事実に後記認定六の事実を総合すると、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里は被告の過失に基づく不法行為によりそれぞれ前記四1(一)の(1)、(2)、(3)、(4)及び後記六の1(一)(1)、2(一)(1)、3(一)(1)、4(一)(1)認定のように乳児結核に罹患し、右のような症状に陥らされかつ治療を余儀なくされたものといわなければならない。

六被告の前記不法行為により原告らの蒙つた損害

1原告小林哲大

(一)  精神的損害

(1) 前記四1(一)(1)の事実のほか、<証拠>を総合すると、原告小林哲大は、昭和四一年一月二二日から毎日ヒドラジッド0.5グラムを服用したこと、同年五月六日東大病院分院に入院し、同月一一日から二五日まで、毎日、カナマイシン0.25グラム筋肉注射、ヒドラジッド0.15グラム及びエチオナマイド0.1グラムを服用していたこと、同月二五日都立清瀬小児病院に転院し、同年一二月二三日仮退院するまで入院し、右期間中、週二回ストレプトマイシン0.25グラムを注射し、毎日ネオイスコチン0.2グラム、パス二グラムを服用し、退院後も同様の治療を受け月一回右病院でX線写真の撮影等の診察を受けていたこと、昭和四二年三月三一日から結核予防会岡山診療所に転医したが、同年五月末まで同様の治療を受け、三ケ月に二回の割合でX線写真撮影、赤沈検査を受けていたこと、その後一年間パス、ヒドラジッドを服用していたこと、化学療法終了後三年間経過観察が必要とされたこと、現在後遺症は特別にはなく、臨床的には完治していることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(2) <証拠>を総合すると、原告小林哲大は治療のためのストレプトマイシン注射の際注射の痛みに苦しみ泣き叫び、しばしば注射をした尻部の痛みを訴え、あるいは赤沈検査のため腕若くは首の血管からの血液採取の際苦痛を受けたこと、清瀬小児病院入院中は両親から離され画一的扱いを受け、割れた窓から入つた寒風に晒されたり、ベッドから落ちて怪我をしたりしたこと、右病院入院中、両親の愛情を十分に受けられなかつたこと、現在、治療に使用した薬剤の副作用により胃腸障害、肝臓障害がみられ、このため赤血球が減少しており、顔色も蒼く、時々、鼻血を出したり、嘔吐したりすることのあることが認められ、証人星野皓の供述のうち、治療薬による副作用は特にないとする部分は信用できず、他に右認定を覆するに足る証拠はない。

(3) 右(1)、(2)、その他諸般の事情を考慮すると被告の前記不法行為により原告哲大は相当の精神的苦痛を受けたものと認められ、これに対する慰謝料は一四七万円が相当であると認められる。

2原告杉浦あかね

(一)  精神的損害

(1) 前記四1(一)(2)のほか、<証拠>を総合すると、原告杉浦あかねは、昭和四〇年一二月一七日東京母子病院において肺炎と診断され同月一九日から同月二四日まで同病院に入院し、肺炎の治療を受けたこと、昭和四一年三月一八日から清瀬小児病院の診察を受け、同月二二日からヒドラジッドの投与を受け同年五月四日から昭和四二年三月末日まで右病院に入院し、パス、ヒドラジッドの投与を受けたこと、退院後も昭和四二年九月まで薬治療法、月一回の定期検査を受けたこと、その後も三年間経過観察を要したこと、現在、後遺症は特別にはなく臨床的には完治していることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(2) <証拠>を総合すると、原告杉浦あかねは、右清瀬小児病院入院中は両親の愛情を十分受けられず、画一的扱いを受けたこと、現在、顔色が悪く食欲があまりなく、時々吐気を催し、これは治療のため使つた薬剤の副作用であると考えられることが認められ、<証拠判断>、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(3) 右(1)、(2)、その他諸般の事情を考慮すると、被告の前記不法行為により原告杉浦あかねは相当の精神的苦痛を蒙ったものと認められこれに対する慰藉料は一四一万円が相当であると認められる。

3原告香川元

(一)  精神的損害

(1)前記四1(一)(3)の事実のほか、<証拠>を総合すると、原告香川元は、昭和四〇年九月ころから咳、ぜい鳴が激しく武谷病院の診察を受け、同年一二月再び咳、ぜい鳴に襲われ何度も武谷病院の診察、治療を受けたこと、昭和四一年二月一八日からヒドラジッドの投与を受けたこと、同年四月ころ、しばしば、発熱、ぜい鳴に苦しめられたこと、同月三〇日武谷病院において喘息性気管支炎と急性咽頭扁桃腺炎と診断され、その治療を受けたが効果のなかつたこと、同年五月一四日清瀬小児病院に入院したが、入院後も同年六月ころまで咳嗽及び喘息が強く時々高熱を出し、同年五月二五日には病状が悪化し、喘息発作、呼吸困難に陥り酸素テントに収容され、これが約一週間継続したこと、昭和四二年三月三〇日まで右病院に入院し、その間ストレプトマイシン、パス、ネオイスコチンの投与を受けたこと、退院後も昭和四三年三月末まで投薬を受け、その後も現在まで定期診断を受けていること、現在後遺症は特別にはなく、臨床的には完治していることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(2) 右(1)その他諸般の事情を考慮すると、被告の前記不法行為により原告香川元は相当の精神的苦痛を蒙つたものと認められ、これに対する慰藉料は原告香川元主張のとおり一七五万円とするのが相当である。

4原告岩田絵里、同岩田健吾、同岩田令子

(一)  原告岩田絵里の精神的損害

(1) 前記四1(一)(4)の事実のほか、<証拠>を総合すると、原告岩田絵里は昭和四一年四月二日肺炎として河北病院に入院したその二、三日後、高熱、咳にみまわれ、投薬注射等の治療を受けたがX線写真所見は一向によくならなかつたこと、昭和四一年四月一六日からストレプトマイシン注射、パス、ネオイスコチンの服用を始め、昭和四二年三月三一日河北病院を退院したが、同年一〇月初めまで右治療を継続したこと、その後昭和四四年三月ころまでパス、ネオイスコチンの服用を続け、昭和四六年四月ころまでヒドラジッドの服用を続けたこと、現在、後遺症は特別にはなく、臨床的には完治していることが認められる。

(2) <証拠>によると、原告岩田絵里は注射、投薬に苦しんだこと、注射の傷跡が残つていることが認められる。

(3) 右(1)、(2)その他諸般の事情を考慮すると、被告の前記不法行為により原告岩田絵里は相当の精神的苦痛を蒙ったことが認められ、これに対する慰藉料は一九二万円が相当であると認められる。

(二)  原告岩田健吾、同岩田令子の財産上の損害

(1) 入院費、治療費

(ⅰ) 前記(一)の事実と<証拠>を総合すると、被告の前記不法行為により原告岩田絵里が前記治療、入院を余儀なくされたことにより原告岩田健吾及び同岩田令子は高円寺同愛病院の治療費として四、五一〇円、杉尾医院の治療費として七四三円、河北病院の入院費、治療費として六一万三、〇七五円を支払つたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(ⅱ) 原告岩田健吾、同岩田令子は、河北病院退院後、昭和四二年一〇月三〇日まで同病院に治療費として一、四〇〇円を支払つた旨主張するが、本件全証拠によるも右事実を認めるには足りない。

(2) 付添費

前記(一)の事実と<証拠>を総合すると、被告の前記不法行為のため前記のとおり原告岩田絵里が河北病院に入院していた昭和四一年四月二日から昭和四二年三月三一日の間に、原告岩田令子が三〇〇日にわたり同岩田絵里に附添看護していたこと、河北病院は基準看護制であり乳児の入院の場合附添が必要であつたことが認められる。

そして、本件原告岩田令子の附添看護婦は、家政婦の賃金、本件においては母が乳児に附添つたものであること等諸般の事情を考慮すると一日当り五〇〇円と評価するのが相当であり、原告岩田令子の附添つた三〇〇日間の附添看護料は一五万円となり、これも被告の前記不法行為による損害というべきである。

(3) 通院費

前記(一)の事実と<証拠>を総合すると、被告の前記不法行為のため前記のように原告岩田絵里は昭和四二年四月一日から同年一〇月初めまでの間週二回、合計約五四回河北病院にタクシーで通院したこと、右通院にタクシーを利用したことは相当であつたこと、右通院には一回当りタクシー代往復二〇〇円、五四回合計一万八〇〇円を要し、これは原告岩田健吾、同岩田令子が支払つたことが認められ右認定を覆すに足る証拠はない。

また前記(一)の事実と前掲各証拠によると、被告の前記不法行為のため原告岩田絵里は、昭和四二年一一月から昭和四六年四月までの間二週間に一回、合計約九一回河北病院に通院したこと、右通院にタクシーを利用したこと、右通院にタクシーを利用したことは相当であつたこと、右通院には一回当りタクシー代往復二〇〇円、九一回合計一万八、二〇〇円を要し、これは原告岩田健吾、同岩田令子が支払つたことが認められ右認定を覆すに足る証拠はない。

本件全証拠によるも右認定額をこえる通院費を要したと認めるに足る証拠はない。

(4) 以上により原告岩田健吾は右(1)(ⅰ)及び(3)の合計額の二分の一である三二万三、六六四円の、同岩田令子は右(1)(ⅰ)及び(3)の二分の一並びに右(2)の合計額たる四七万三、六六四円の損害を蒙つたというべきである。

5原告小林将啓、同小林和子、同杉浦公昭、同杉浦京子、同香川孝雄、同香川香津代、同岩田健吾、同岩田令子の慰藉料について

(一)  <証拠>を総合すると、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里が、それぞれ結核と判明して入院する以前において、原告杉浦夫婦、同香川夫婦、同岩田夫婦は、原告杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里の当時まだ原因の判明していなかつた咳、発熱の診療、治療のため奔走し、原告香川夫婦、同杉浦夫婦は、原告杉浦あかね、同香川元のツベルクリン検査、X線写真検査のため奔走し、原告岩田夫婦は原告岩田絵里を中耳炎のためしばしば杉尾医院に通院させねばならなかつたこと、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里が東京都立清瀬小児病院、東大病院分院、河北病院へ入院中、原告小林夫婦、同杉浦夫婦、同香川夫婦、同岩田夫婦は、それぞれ家庭、仕事を犠牲にして頻繁に右各病院に通院し、看護に奔走し、各子らが注射や薬の服用に苦しみ、いやがるのに無理にこれを受けさせねばならず、原告小林令子は原告哲大の東大病院分院入院中泊込でこれに附添い、原告香川夫婦は、昭和四一年五月二五日から約一週間、原告香川元が重体となつたため泊込んでこれに附添つたこと、原告小林夫婦、同杉浦夫婦、同香川夫婦は、それぞれ、両親から隔離されて入院し、面会時間にしか親と会えない原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元が親の愛情に飢えているのに心を痛め、健全な精神の発達を心配したこと、原告小林夫婦は原告小林哲大の結核の治療に関し多大の出捐を余儀なくされたこと、原告小林夫婦、同杉浦夫婦、同香川夫婦、同岩田夫婦は、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里が現在もなお体があまり丈夫でないため、それぞれその健康を心配し、さらに結核の再発、治療薬による副作用を恐れていることが認められる。

(二)  身体を害された者の近親者が自己固有の権利として慰藉料の請求ができるのは、近親者において被害者の生命を害された場合に比肩すべき場合または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けた場合に限られると解すべき(最高裁昭和四三年(オ)第六三号同年九月一九日第一小法廷判決・民集二二巻九号一九二三頁参照)ところ、右(一)、前記六1(一)(1)、(2)、2(一)(1)、(2)、3(一)(1)、4(一)(1)、(2)及びその他諸般の事情からすると原告小林夫婦、同杉浦夫婦、同香川夫婦、同岩田夫婦は各子らの結核罹患により多大の精神的苦痛を蒙つたことは認められるが、それぞれ蒙つた精神的苦痛の程度はこれらの者が右にいう自己の権利として慰藉料を請求できる程度には至つていなかつたといわざるを得ず、これら原告各夫婦の慰藉料請求は認容し難い。

6見舞金支払について

(一)  原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元が被告からそれぞれ見舞金名下に五万円づつ受領したことは当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>を総合すると、右見舞金は乳児の結核罹患に対する被告の責任を前提とはしない趣旨の金員であつたことが認められる。

ところで、責任のあることを前提としない見舞金であつても、責任のあることが明らかとなつた場合には、その蒙つた損害を填補するための金員とする趣旨であると解するのが当事者の意思に沿うものであると解される。

してみると、本件において右見舞金は、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元の精神的損害に対する慰藉料の内金となるというのが相当であり、右1(一)(3)、2(一)(3)、3(一)(2)から右各金額を控除すべきである。

7弁護士費用について

(一)  原告小林哲大

<証拠>によれば、原告小林哲大親権者父小林将啓、同母小林和子は原告哲大を代理して原告小林哲大訴訟代理人弁護士七名との間で本件訴訟について報酬契約を締結したことが認められ、本件訴訟の難易、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると原告小林哲大が被告に対して請求しうる弁護士費用は二二万〇、五〇〇円とするのが相当であり、これも被告の前記不法行為による損害というべきである。

(二)  原告杉浦あかね

<証拠>によると原告杉浦あかね親権者父杉浦公昭、同母杉浦京子は原告杉浦あかねを代理して本件訴訟について原告杉浦あかね訴訟代理人三名との間で報酬契約を締結したことが認められ、本件訴訟の難易、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると原告杉浦あかねが被告に対し請求しうる弁護士費用は二一万一、五〇〇円とするのが相当であり、これも被告の前記不法行為による損害というべきである。

(三)  原告香川元

<証拠>を総合すると、原告香川元親権者父香川孝雄、同母香川香津代は、原告香川元を代理して、本件訴訟について、原告香川元訴訟代理人三名との間で報酬契約を締結したことが認められ、本件訴訟の難易、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると原告香川元が被告に対し請求しうる弁護士費用は同原告主張どおり二六万二、五〇〇円とするのが相当であり、これも被告の不法行為による損害というべきである。

(四)  原告岩田絵里、同岩田健吾、同岩田令子

<証拠>によると、原告岩田健吾及び同岩田令子は、本人兼原告岩田絵里法定代理人親権者父母として、本件訴訟について原告岩田絵里、同岩田健吾、同岩田令子訴訟代理人三名との間で報酬契約を締結したことが認められ、本件事件の難易、審理経過、認容額、その他諸般の事情を考慮すると、原告岩田絵里、同岩田健吾、同岩田令子が被告に対し請求しうる弁護士費用は、それぞれ二八万八、〇〇〇円、四万八、五四九円、七万一、〇四九円とするのが相当であり、これも被告の不法行為による損害というべきである。

(五)  原告小林将啓、同小林和子、同杉浦公昭、同杉浦京子、同香川孝雄、同香川香津代

前記5のとおり右原告らの慰藉料請求は理由がないので、その余の点について判断するまでもなく、右原告らの弁護士費用の請求は理由がない。

七結論

以上により、被告は、原告小林哲大に対し一六四万〇、五〇〇円を、同杉浦あかねに対し一五七万一、五〇〇円を、同香川元に対し一九六万二、五〇〇円を、同岩田絵里に対し二二〇万八、〇〇〇円を、原告岩田健吾に対し三七万二、二一三円を、同岩田令子に対し五四万四、七一三円をそれぞれ支払う義務があるというべきである。

よって、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里、同岩田健吾、同岩田令子の各請求は、右各限度において理由があるのでそれぞれこれらの部分は認容し、その余の部分は理由がないから棄却することとし、原告小林将啓、同小林和子、同杉浦公昭、同杉浦京子、同香川孝雄、同香川香津代の各請求はいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき、原告小林哲大、同杉浦あかね、同香川元、同岩田絵里と被告との間については民事訴訟法八九条、九二条但書を、原告岩田健吾、同岩田令子と被告との間については同法八九条、九二条本文、九三条一項を、原告小林将啓、同小林和子、同杉浦公昭、同杉浦京子、同香川孝雄、同香川香津代と被告との間については同法八九条、九三条一項を、仮執行宣言について同法一九六条を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(柏原允 小倉顕 伊藤保信)

別表一

性別

入院期間

(いずれも

昭和40年)

収容

されたてい

部屋

未熟児

成熟児別

学会病型

ツベルクリン反応検査

治療

(1)

7.15~8.12

未熟児室

成熟児

rⅢ2,rH

40.11.18 10×10/20×17

入院

(2)

7.15~8.20

未熟児

lⅢ1,lH

40.11.19 12×12/14×14

(3)

7.30~8.19

成熟児

r1Ⅲ,rH

40.10.19 8×7

40.11.16 0/18×16

(4)

6.10~8.4

未熟児

bⅢ3

40.11.14 10×8

(5)

7.1~8.24

lⅢ2

40.12.26

(6)

7.19~9.15

rⅢ1,rH

40.12.2 0/12×12

(7)

7.24~8.13

rⅢ2,rH

40.11.24 16×18/16×18

(8)

7.26~8.24

成熟児

rⅢ2,rH

41.1.28 14×16/30×30

(9)

杉浦あかね

8.1~9.22

未熟児

rⅢ1,rH

41.3.15 0/13×13

(10)

7.29~8.12

新生児室

成熟児

rⅢ2

40.11.(±)BCG

41.5.11 0/12×13

(11)

香川元

7.25~8.25

未熟児室

未熟児

rⅢ2,rH

40.10.20 13×14/17×14

(12)

小林哲大

7.6~8.19

成熟児

rⅢ2,rH

40.9.30 0/7×10

41.1.6 0/15×17

(13)

6.22~8.3

未熟児

bⅡ3

40.9.30 9×9

40.12.28 9×10/19×25

(14)

7.24~7.31

新生児室

成熟児

rⅢ1,rH

40.10.13 14×12

(15)

7.21~8.28

未熟児室

未熟児

rH

40.12.20 10×10/15×15

(23×25)

(16)

7.29~8.4

新生児室

成熟児

rH

40.11.16 10×12/22×22

(17)

岩田絵里

6.18~8.16

未熟児室

未熟児

lⅢ2

中耳結核

40.9.15(一)BCG

41.4.14 17×15/25×20

(18)

6.10~7.12

0※

40.12.25 0/18×24

在宅

(19)

8.2~8.18

rⅢ2

40.12.6 15×15/20×30

(20)

7.16~9.20

rⅢ2

40.12(±)それ以後の結果不明

(21)

9.7~9.27

10.13~10.22

0

40.12.25 0/10×13

(22)

6.8~7.8

未熟児室

未熟児

0※

40.9.20 0/14×14

在宅

(23)

6.30~7.28

成熟児

0※

40.11.2 0/16×15

(24)

6.22~7.1

成熟児

0

41.11.3(一)

41.4.21 21×19/21×19

(25)

6.15~8.10

lⅢ1

41.4.19 13×11/28×30

入院

(26)

8.30~9.2

新生児室

0※

41.2.21()

在宅

(27)

7.2~8.2

未熟児室

0※

41.4.16 0/17×16

(28)

7.2~8.2

未熟児

bH※

41.5.20 6×7/12×14

(29)

7.26~8.15

新生児室

成熟児

0※

41.4.16 10×10/25×21

※印は保健所から報告されたもので,東京都乳児結核調査委員会では続影はしていない。

別表二

出生月

入院した者

外来のみを利用した者

対象数

ツ反

判定数

判定しえた

ものの数

ツ反自然

陽転数

自然

陽転率

対象数

ツ反

判定数

判定しえた

ものの数

ツ反

陽転数

自然

陽転率

総数

2496人

1385人

55.5%

35

2.5%

412※人

167人

40.5%

1人

0.6%

1月

212

100

47.2

46

22

47.8

2月

185

106

57.3

48

23

48.0

1

4.3

3月

211

117

55.5

39

15

38.5

4月

203

118

58.1

1

0.8

55

27

49.1

5月

214

133

62.1

2

1.5

41

15

36.6

6月

199

125

62.8

9

7.2

18

8

44.4

7月

236

152

64.4

17

11.2

22

11

50.0

8月

215

126

58.6

2

1.6

47

18

38.3

9月

217

121

55.8

2

1.7

24

10

41.7

10月

220

124

56.4

1

0.8

36

11

30.6

11月

189

96

50.8

1

1.0

23

7

32.4

12月

195

67

34.4

4

〔注〕※この中には出生月不明の人を含む

別表四

昭和三九年五月間接撮影

昭和四〇年

神保金悦

bⅢ2(Ⅱ?)

7.15間接撮影

7.31直接撮影

8.18直接撮影1

}bⅡ2 シェーブ

伊藤ハツ子

lⅣ1

7.18間接撮影

bⅢ1 シェーブ

大久保兼吉

異状なし

7.18間接撮影

rⅢ1

小林陽治

bⅢ1

7.18間接撮影

bⅢ1

牛山チエ

rⅢ1

7.18間接撮影

bⅢ1 シェーブ

町田純江

不明

9.20間接撮影

bⅢ1

岡本義子

(村山)

40.6.10直接撮影 rⅢ1

41.2直接撮影

断層撮影

rⅢ1

唐木光世

40.2直接撮影  異状なし

40.6.3直接撮影  異状なし

40.12.29断層撮影

lⅢ1

小林君子

40.2直接撮影   bⅢ1

41.2

bⅢ1

葭村マリ

40.7間接撮影   lⅢ1?

41.1.29直接撮影

lⅢ1 ?

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